考える葦

考えていないようで、考えていて 考えているようで、考えていない 私。

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言葉

20051205123007
すみません。前回は勢い余って意気込みを書いたけど、何で今まで更新をさぼってたか書いてなかったんで。
空手の試合が始まるちょっと前から空手道部の練習に行き始めて、なんだか懐かしい雰囲気が新鮮で気づいたらそれなりに練習に行ってた。合間を埋めるように製薬企業主催の骨粗鬆症の講演会(食べ放題つき☆)があり、ゼミ発表があり、新しくバイトを始めたり、授業が始まったり、誕生日とか…となぜか充実の毎日。これが師走なのかな?(なんか違う?)そんなわけでネタと体重はふえたけど(-.-;)、ぼーっとする時間が減りました。そんだけです。
では本題。言葉ってなんでコトバなんだろう。はっぱ(・_・)?例えるなら葉っぱよりももっと抽象的なものな気がするなあ。
言葉は他の何よりも嘘の原因だし、それでいて何よりも真実だったりする。
言葉を使う人によって、言葉は姿・形を変えるね。言葉によってギュッてされたようなほんわか暖かい気持ちにもなるし、逆に心臓を刺されたように信じられないくらい傷つくときもある。

言葉には威力がある。それは使う人の信念が言葉に宿っているから。その人が口から出す言葉はその人自身をよく表している。その言葉に嘘はない。それだけに、人の心を動かす力を持っている。だからこそその一言一言に考えさせられる。でもその言葉は時として凶器になる。嘘がないからこそ、ギラギラ光った刃物のようにまっすぐに私の心に突き刺さった。叱ってくれるだけでも喜ばなきゃいけないんだけどね。
逆に私の言葉にはあまり威力がない。相手の心に傷をつけるのが見たくなくて(相手を傷つけたという事実に自分が傷つきたくないから)、私は本当に言いたいことをオブラートに包んでしまう。相手を思いやったつもりでも、そうやって嘘をつくほうが実はもっと相手を傷つけていたりするんだよね。長いこと私はそれに気づかなかった。そして本当の自分が全然大したことのない小心者であると知られるのが怖くて、話を大きくしたり遠まわしに話して、煙をまいて事実から逃げてしまう。だから私は理解されにくい。それなのに自分のこと分かって欲しいなんていうのはズルいよね。私はまだまだ自分を素直に出す訓練が足りてない。心の中のどこかで我慢することが美学、悲劇のヒロインこそ一番美しい、みたいに思ってる。

もっと言葉を上手に使えるようになりたいです。剛速球のストレートを投げる技術も必要だけど、変化球も時には必要だと思う。もっと色んな場面に出会って、色々考えて物事話せるようにならないとね。。。
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テーマ:いま思うこと - ジャンル:日記

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