考える葦

考えていないようで、考えていて 考えているようで、考えていない 私。

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「感動したい症候群」

20060107143610
昨日はもしものもしも、そのもしかして国家試験の模試があった。あ゛ー?う゛ー!!知らん、そんなこと(-.-;)y-゜゜そんなのばっかりでやばい!ということで参考書を取りに研究室へ行きました。そしたら雪降ってるし!萎える~↓↓写真ではほとんど分からないし。幻想的で綺麗だったので許します。ミーハー関東人です。
先日、名古屋から帰ってくる新幹線の中で(←妹の都合により)読んだ新聞に意味深な記事がありましたので書いてみます(......¢^_^)

「泣きたがるニッポン人」

記事によると
最近「セカチュー」「いま会い」など病気や死などを「(乗り越えられない)壁」にした純愛物語が大ヒット。しかし、日本人は感動しすぎなのではないか、また、感動することの意味が変化してきているとみる見方があるという。
まず、背景。現代社会では異性のどこ(容姿・人柄・肩書きなど)に惹かれたにしても、「打算的」であるとされてしまう。そんな打算社会にあって、ヒトビトは打算を否定したいがために打算とかじゃなく自分を犠牲にしてでも誰かを愛するという純愛を求めたがる。これがヒットの理由とみる。
また、映画で涙を見せることにより自分の弱い部分をさらけ出し、純真さを高めようとしているともとることができる。
一方で「感動」は与えられるものではなく内から出てくるものであり(「感動をありがとう」などの感動)、「感動」と「共感」などの感情が混同されているとも考えられる。つまり映画を見て「感動」し涙を流している純真な自分に、感動しているのであって自然に心から沸き上がってくる感動ではない。
映画で泣きたがることでさえ、実は「打算的」な社会…。

というのが記事の内容。
私は思い当たる節がある…(x_x)
ナウシカを観て泣いた。ナウシカの生き方に心打たれたから。涙が止まらなかったのは、映画を観て泣いている自分に気づいて泣いていたのかもしれない。
ALWAYSを観たとき泣いたのは、大切な人のために愛を惜しまない町の人たちの姿に心打たれたから。でも、もしかしたら登場人物が泣いてもらい泣きしたのかもしれないし、音楽のせいかもしれない。
けどさ、感動するとき、涙を流すときって人それぞれ違っていていいじゃん。感動することにいちいち理由なんていらない。
みんなが泣く映画を観たとして、自然に感動したんだったらそれでいいじゃん。ただ、みんなが泣いたから、いい映画だから、っていう理由で泣けたんだとしたら、その涙はもったいないよ。
涙は最強の武器みたい。だからそう易々と奥義を使ったらもったいないよ。

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テーマ:ひとりごと - ジャンル:日記

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